冷血 (新潮文庫)

冷血 (新潮文庫)

マンガと雑誌をのぞけば久しぶりの読書である。読み始めたのはずいぶん前のことで、おそらく2、3ヶ月前だったと思う。ときどき読んでしばらく休んでの繰り返しで、数日前にはまだ半分くらいしか読み進んでいなかった。中盤で話がダレてきて、いつになったら犯人が捕まるのか、まだまだ先だろなあと思っていたら、いきなり捕まってしまった。それも前フリもなく密告で犯人が分かるという、推理小説だったらありえないストーリー展開で。僕の予想では、犯人がメキシコで売っぱらったトランジスタラジオから足がつくというもので、そういう推理小説的展開だと思っていた。「現実は小説より奇なり」というけれど、この事件は少なくとも犯人逮捕に関していえば小説の方が何倍も奇である。
いや、だからといって、この小説(「ノンフィクション・ノベル」と銘打ってるから「小説」と言っていいと思う)が詰まらないわけではない。犯人が捕まるあたりから俄然おもしろくなって、最後までほぼ一気に読んでしまったぐらいである。なにが面白かったのかというと、たぶん、「ひとつの事件の全容を知りえた」という満足感ではないかと思う。ただし、裁判では4人の被害者のうち誰を誰が撃ったか明らかにされなかった。仮にペリーが4人全員を撃ち殺したとしても、ペリーとともにディックも絞首刑だという結論は変わらないのだろうが、それにしても、誰が誰を撃ったかというのは現代の裁判では明らかにしなくてはならない最も重要なことだと思う。1960年頃は、そうではなかったのか?ま、裁判では明らかにされなくても、小説の中ではほぼ特定されているから良しとしよう。
殺人事件など重大犯罪がマスコミで報道されるとき、紙面で大きく扱われるのはだいたい事件の発生時と犯人逮捕のときである。裁判の内容が新聞などに載るのはよほど衝撃的な事件に限られる。そして、判決要旨が新聞に掲載されることは少ない。でも、僕はこの判決要旨を読むのが好きなのである(「好き」っていう言い方は不謹慎かもしれないけれど…)。
今でも忘れられない事件があるのだけど詳細を書く気にはならない。ただ、その事件の全容を判決要旨や前後の取材記事で知ったときは、あまりにもむごい扱いを受けた人間の恐怖と絶望に触れて僕は慄いたとしか言いようがない。
『冷血』に話を戻せば、虚構ではなく事実を書いたということがこの小説の面白味である。散弾銃の引き金を躊躇いなく引いたペリー、死刑判決が下りたあと冗談を交わすペリーとディック、死刑から逃れるために独房の中で法律の本を読み手紙を出し続けたディック。フィクションであればありそうなエピソードが、虚構ではなく事実そうであったということへの驚き。そういった事実を積み重ねたところにこの小説の面白味がある。