『悲夢』

午後、年休とって映画を観た。
韓国映画なのにオダギリジョーは日本語で喋り、なぜか彼の言葉は全ての韓国人に通じていた。その不思議に特別な意味はなく、おそらく韓国語を覚えるヒマがないまま撮影に入ったのだろう。まあ、それはいい。そういうお約束なんだと割り切れば気にならない。映画の出だしもまずまず。自分が見た夢を他人が実行するというアイデアも悪くない。でも、そこまで。もうちょっとマシな脚本は書けないのかと思った。