我が家の冬の晩ご飯にはしばしば鍋料理が出てくる。種類としては水炊きが多い。鍋が好きな僕に異論はないし、料理が嫌いな家人にとっては鍋料理は簡単に作れて楽チンらしい。つまり、互いの利害が一致した結果として必然的に鍋料理が多くなるのである。
しかし、問題がひとつある。食べ過ぎるのである、いつも。例えば味噌汁だとお椀に注いだ味噌汁を飲み干せばそれで終わりである。いつも多めに作ってあるのでお代わりしても構わないのだが、そんなことは滅多にない。しかし、鍋料理というのは予め一人ひとりのお椀によそったりはしないものである。食卓の真ん中にどーんと鍋を置いて、自分が好きなだけ食べていいのである。となれば、どんどん食べてしまって、気づいたときにはいつも食べ過ぎになっている。長年の経験からそうなることは簡単に予想できるので、ご飯(メシ)は食べずに鍋とビールだけにしても、やはり食べ過ぎになってしまうのである。
ふつう、経験は人を賢くするものだが、僕にとっての鍋料理はその常識が通用しない。そして、考えてみれば、鍋に限らず経験によって知恵が身につかないということはほかにもたくさんあるように思う。